坂本龍馬はフリーメイソンだった?グラバーとの関係を検証
幕末の坂本龍馬の活躍のウラには、長崎の商人グラバーと秘密結社フリーメイソンがいたという説。グラバーが武器を売っていたのは事実ですが、フリーメイソンとのつながりはあったのでしょうか。国の観光解説などをもとに検証します。
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どんな説?
幕末に薩摩藩と長州藩を結びつけるなど、明治維新への道を開いた坂本龍馬。その活躍のウラには、長崎の英国人商人トーマス・グラバーと、秘密結社フリーメイソンがいたという説です。龍馬はフリーメイソンに支えられて、またはあやつられて動いていた、龍馬自身もメンバーだった、などと主張されています。
なぜ広まった?
- 龍馬の活躍がめざましかった:坂本龍馬(1836〜1867年)は、長崎で亀山社中を立ち上げ、薩摩と長州の同盟を仲介しました。藩の重役でもない龍馬がここまで動けたのは、「大きな後ろだてがあったからでは」という想像が、説を生みました。
- グラバーが武器を売っていた:グラバーは、薩摩・長州・土佐などの藩に、船や武器を売っていました。倒幕をめざす藩と外国の商人が深く関わっていたことが、「外国の秘密組織の計画」という話に結びつけられました。
- 長崎に本当にフリーメイソンの建物があった:長崎には明治時代にフリーメイソンのロッジ(集会所)があり、その門は今も市内に移されて残っています。グラバーと同じ「長崎の話」として、結びつけられやすかったのです。
実際はどうなの?
- 説の言い分
グラバーはフリーメイソンだった
実際は国の観光解説(観光庁の多言語解説文データベース)には、グラバーがフリーメイソンの会員だったという証拠はない、と書かれています。
- 説の言い分
長崎のフリーメイソンが龍馬を支えた
実際は長崎にフリーメイソンのロッジができたのは1885年で、龍馬が京都で暗殺された1867年より18年もあとのことです。設立メンバーの多くは、造船所で働くイギリス人男性でした。龍馬が生きていた時代の長崎に、このロッジはまだありませんでした。
- 説の言い分
グラバーの武器取引は秘密結社の計画
実際はグラバーは、21歳で長崎に来て、23歳で貿易会社「グラバー商会」を立ち上げた商人です。船や武器の取引は、商売として行われたもので、そのために「死の商人」という悪評もあったとされています。長州藩の若者たちのイギリス留学を手助けするなど、幅広く藩と関わっていましたが、それがフリーメイソンの指示だったという証拠は示されていません。
見抜くポイント
- 年を並べて確かめる:「〇〇と△△はつながっていた」と聞いたら、それぞれが「いつ」のことかを並べてみましょう。龍馬の死とロッジの設立のように、時期がずれていることがあります。
- 「同じ場所」と「関係がある」は別のこと:同じ町にあった、近くに建物が残っている、というだけでは、関係があった証拠にはなりません。記録で確かめられるかどうかが大切です。
出典
- フリーメイソンロッジの門(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース(国土交通省))
- 寺田屋:坂本龍馬と幕末(観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース(国土交通省))
- 「明治日本の産業革命」に貢献した長崎のトーマス・グラバー(nippon.com(ニッポンドットコム))
2026年10月14日に内容を確認しました。リンク先の内容は変わることがあります。